ミストジャケット

 

スティーヴン・キング原作、フランク・ダラボン監督の、
超ゴールデンコンビ作品。
10人に1人は好きな映画にあげそうな
ショーシャンクの空に』と『グリーンマイル』のお二人ですね。

 

キング作品ではおなじみの「ホラーの巨匠のホラーじゃない作品」を、ダラボンが監督すると、超感動大作ができるって思っている人も多いんじゃないかしら。
とにかくスティーヴン・キングて人は、人間の心に潜むモノが大好きで、それなら人間ドラマやサスペンスを描けばいいだろうに、化け物や超自然現象も大好きなもんだから、ついついクリーチャーを出しちゃってB級ホラーができあがっちゃう。だからたまに彼がクリーチャーの出ない話を描くと、深みのあるすばらしい作品が出来上がると。

でも、クリーチャーが出てくる作品だって、超能力みたいなのが出てくる作品だって、彼の描き出す深みのある人間ドラマはしっかりと存在してるのよね。
で、そんなキングの「クリーチャーホラー」を、ダラボンが監督したと。
 

メイン州西部の田舎町を嵐が襲った翌朝。自宅前の湖の向こう岸に、湖面を這うよ
うに進んでくる異常に濃い霧を目撃するデヴィッドと息子のビリー。とにもかくに
も車で食料品を買いに行くため、息子を連れて出かけようとするデヴィッドだった
が、高級愛車が倒木でぺしゃんこになった隣家の高慢弁護士ノートンがバツの悪そ
うな顔でこちらを見ているのに気づく。デヴィッドは彼と境界線トラブルで裁判し
て以来険悪なのだが、状況が状況なので一緒に乗せていってあげることに。
スーパーへの道すがら、カーラジオで嵐の過ぎた町の情報を得ようとするが、聞こ
えるのは雑音だけ。軍の極秘基地の近くにある地元のラジオ局も入らないし、物々
しい軍用車両とすれ違う。なんだか嫌な予感。胸騒ぎを覚えたデヴィッドは、スー
パーについてすぐ、自宅に残してきた妻に連絡を取ろうとするが、電話は不通。
さっさと買物を済ませて家に帰らなければと、停電中の店内で息子とあれこれカー
トに入れる。停電のせいでレジも大混乱。
その時、突然けたたましいサイレンとともに、濃い霧がスーパーの外に押し寄せる。
と、霧の中から1人の男性がスーパーに駆け込んでくる。襲われて逃げてきたのだと、
鼻血を出しながら興奮した様子で話す男性。
「霧の中に何かがいる。ドアを閉めろ!!」
慌ててガラス扉を閉めた瞬間、押し寄せる霧がスーパー全体を包み込んでしまう。
そして地震が起こり、商品棚は倒れ、電灯は落下し、店内は騒然となる。
やがて揺れが収まると、店の外には数メートル先さえ見えない真っ白な霧がたち
込めていた。

 

【楽しめるかも】

  • ハッピーエンドばかりの映画にちょっと飽きちゃったひと
  • 人間の奥底に潜む闇が描かれる映画がたまらなく好きなひと

【楽しめないかも】

  • 宗教とか差別に過剰反応しちゃうひと
  • 映画を観て暗い気分になんてなりたくないよってひと

 

スティーヴン・キングといえば、映画専攻の学生に1ドルの支払で自分の短編を原作にした映画をつくることを許可する「1ドル契約システム」を行っていることでも有名(「キングの同意なしに商業化しない」ことが唯一の条件ね)。
フランク・ダラボンは、じつはこの「1ドル契約」組でした。その作品はキング本人もうなるほどの出来だったそうなので、きっとキングはダラボンのことちょうお気に入りなんだろうね。

01この作品は、もちろんクリーチャーホラーなんだけど、ただのクリーチャー物だと思ってほっとくのはもったいない。クリーチャー自体は、ある意味でオプション的な位置づけで、ホラー要素はどちらかというと人間の中にある。そこはそれ、さすがのダラボン監督。閉鎖的空間における人間心理を巧みに描きだすわけです。
ただのクリーチャーホラーなら、スーパーに閉じ込められた人々は団結して戦ったかもしれない。でも現実は…?もし私がイトーヨーカドーでこんな状況になったら、どうなるだろう……。本当に人は、何が起きているのか全くわからない恐怖の状況下で、団結して戦うような心理になれるのか。人間には個人個人に主義主張っていうのがある。時としてそれはぶつかり合い、大きな溝をつくり、しまいには戦争になる。強さ、弱さ、優しさ、傲慢さ、醜さ…そんな人間の本質を描いたら、異常なまでにリアルなホラーができました。

賛否両論はありますが、まぁとにかく、いい意味でも悪い意味でもショックをうけること間違いなしの作品です。
クリーチャーを倒して「わー!!わー!!あのくそったれの怪物めー、ぶっ殺してやるー!!」とかそういうファンキーなクリーチャー映画とは程遠い、人間ドラマです。でも、痛々しいリアリティを突き付けられたときの、ある種の爽快感もあるの。ただし人によっては、著しい不快感ともいえるので、もう好みがはっきりでる作品だよね。

これって、フランク・ダラボンだからこその味わいだよね。ヒューマニズムにあふれる作品づくりで名をはせる彼は、もちろん芸術家肌でもあるけど、キングと同じく心の闇に潜むものが大好きな監督なんだよね。キングの小説って、あのねちっこい描写からイマジネーションを広げるからこその恐怖があるわけで、映像化しちゃうとあっさりしちゃって微妙になっちゃうんだよね。でも、心の闇に潜むものが大好きな者同士、ダラボンとキングってやっぱり相性がいいのかもしれない。どっちもねちっこい描写が得意だし、キングの意図するところをダラボンは理解できるのかもね。

ミスト4さてこの作品、映像美って所は本当にすばらしくて、ほとんどはスーパーの中だけど、ラストに向けてお目見えする、霧の立ち込める町中の終末観溢れる光景が圧巻。その光景からは自然と、終焉と絶望が想像されるのね。
だけど本当の終焉と絶望はそんなもんじゃない。
賛否両論の種にもなった、原作+αのエンディング。私はあのラストに、ただただ感動して「この映画すごいなっ」って思った。原作を読んだことがあるので、そっちの結末を想像してたし。まさかこんなリアリティあるエンディングが用意されているとは思わかなったのよね。とにかく衝撃だった。
ヒーローになりきれなかった男は、絶望してた。他の人たちも絶望してた。それしか道は無いって思った。最善だと思った。でもそれすら、ただの人間のエゴでしかない。
あのラストは絶望的すぎるっていうひともいるけど、私はただ現実を描いてるだけだと思うの。だって実生活なんて、あのエンディングと同じようなものだもの。毎日の選択の繰り返しのなかで、悩んで悩んでやっと最善だと思って選んだのに上手くいかない。天気予報見て、にわか雨が降るかもって言ってたから、カサもって出かけたのに、青空が広がっちゃったようなもん。現実なんてそんなもん。

もちろん、原作の『霧』が大好きなひとのなかには、この映画版エンディングを嫌がるひともいると思う。でも、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』が気に入らないって、自分で作り直しちゃうようなキングが、このエンディングを大絶賛なのは、そこに描きたかった要素があるからだもんね。キング自身が『霧』で描ききれなかったことを、ダラボンが描いた。「この作品を書いた当時、このエンディングを思いついていたら、自分もそうしただろう」って、素直に認めちゃうキング。ほんと、創作に対して貪欲だよね。かっこいい。

ミスト1「じゃぁ、最初の場所で大人しくしてたらよかったんじゃないの?」
なんて『デイ・アフター・トゥモロー』のような感想が出るようなエンディングは、でもすごくリアルなんだよね。
つまり、「じゃぁ、君だったらあのままじっとしていられましたか?」ってこと。
息子を助けるために決死の覚悟で氷河期に挑むパパも、息子と生きるために決死の覚悟で状況を打開しようとしたパパも、どっちの気持ちもすごくよくわかるし、あれが現実的な人間像なんじゃないのかな。いてもたってもいられない、ね。

『ミスト』を何度も観ておもったのは、「この映画はハッピーエンドの映画の裏側で、描かれなかった一般人のお話」なのかもしれないなってこと。
だってね、この作品を州軍側の視点から描けば、普通のクリーチャーパニックなんだもの。
実験最中に、自然災害によってトラブルが起きて、それを穏便に処理しようとする軍のエライ人が部下の行動を制限。そのせいでトラブルが拡大して、とうとうオオゴトになっちゃう。そんな中、ヒーロー的軍人さんが、ヒロイン的科学者や何人かの仲間と勝手に動いて、その間にエライ人は未知の生物に殺されたり、仲間も死んだりして、最終的にヒーロー的軍人さんとヒロイン的科学者がなんとか事態を収束させる…と。それで、生き残った軍人さんたちが町の人を助けに向かうっていうラストシーン。よくある大好きなやつ。
でもよく考えてみれば、その裏には、わけもわからないうちに事件に巻き込まれた一般の人たちがいて、その人たちは「ただじっと、助けを待ってるわけじゃない」んだよね。助けがくるかもわからないから、自分たちの身を守るために人は行動する。だけど原因も、どうすれば助かるのかもわからないから、とにかくそれぞれが自分が信じる道を目指す。そんなふうにがんばってがんばって、最後の手段に出たら、あれ?なんか知らないけどこの事件もう解決したの?あんなに一生懸命がんばったのに……?
そんな、ヒーロー映画の反対側だとおもった。スパイダーマンの活躍の裏で、落ちてきた瓦礫につぶされて死んだ人はいると思うし。バットマンが活躍したら、ハービー・デント地方検事は大変なことになっちゃったしね。

ミスト5クリーチャーの造形はたまらなく魅力的です。昆虫をイメージさせるクリーチャーたちは、どこか自分の知ってる生物みたいだけど、でも全然違う。でもなんとなく、知ってる生物に似てるから、攻撃の仕方も想像がつくような気がして、あ、きっとこんなことするぞ…ほら、やっぱりした。って、ちょっと鑑賞者の自尊心が満たされたりもします。しかもちゃんと表情があるんだよね、あの子達。
あまりに気持ち悪すぎてインパクトが強すぎるクリーチャーだと、この作品で描きたかった人間の感情入り乱れる群像劇が霞んでしまうのだろうから、この劇中のデザインはその辺りをよく考えてるんじゃないかなって感じた。
デザインは『フロム・ダスク・ティル・ドーン』や『ホステル』、『ヒルズ・ハブ・アイズ』でも特殊メイクを担当したグレゴリー・ニコテロハワード・バーガー。ドラマや映画で引っ張りだこの彼らが、毒々しいけど愛嬌のあるクリーチャーをつくりました。
さすがSFXで定評のある彼ら、撮影の際には実物大の触手等を持ち込み撮影をしたそうです。それをもとに、後からCGによる効果をつけていったわけです。それ以外の血やクリーチャーの組織が飛び散るシーンも、撮影時にスライムや血の入ったパックを使って飛び散らせたりと、さすがのお仕事を繰り広げました。

ミスト2最後に、この映画で一番のポイント。
ミセス・カーモディ役のマーシャ・ゲイ・ハーデンの怪演。彼女なくしてこの映画のリアリティは生まれ無かったと感じます。終末世界っぽい絶望感や襲ってくる昆虫みたいな怪物といった、宗教色がそこはかとなく漂うこの作品のなかで、その体現ともいえるキャラクターは、実はすごく現実的な設定。
自分の信じる神(それはものすごく自分に都合のいい神)を、どんな恐怖の中でもぶれずに信じ続け、さらにそれを他人にまで押しつけようとするひと。平穏な日常ではそういう人間は、ちょっと頭のおかしい人として敬遠されがち。だけどこの劇中のような、「まるで終末が訪れたような絶望的な世界」では、人は、思想のぶれない人にすがってしまうのかもしれない。たとえそれが、妄想のような独善的な思想だったとしても。
そんな、「それ、ありそう」が実現したのも、ハーデンの演技力の賜物なんだと思う。

そんなこんなで、とにかく賛否両論ある作品だけど、私はちょう好きな作品でした。
 
 

Written by はるひさ[@haruhisa1212](部長)
2009年7月25日 ブログ掲載

 

広告

ちまつり!スプラッター部 について

ちまつり!スプラッター部(略称:ちまスプ)は、スプラッター、スラッシャー、スリラー映画が好きなひとのための部活動です。 絶賛部員募集中!! 詳しくは「ちまスプとは」をみてね。

1件のフィードバック »

  1. 名無し より:

    自分もミスト好きです!
    特に「ヒーロー映画の反対側」っていうワードにはすごく共感しました( ˘ω˘)

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中